2009年12月9日水曜日

Z1001_日本国憲法

~使用教材~

『憲法入門』


~リポート作成の留意点~

私は「平等」と「合理的差別」について論じましたが、本リポートでは「平等」にポイントを絞る方が評価が高いようです。



~Z1001_日本国憲法_リポート作成例(評点:B)~

『法の下の平等について』

Ⅰ.法の下の平等(平等権)
日本国憲法は、その基本原理として基本的人権の尊重を採用しており、この人権は、君主が与えるものとしていた明治憲法から脱却して、自然人が生まれながらにして持つ固有の権利であるという近代的民主主義の思想に立脚するものである。
憲法一四条は、その第一項前段に「すべての国民は、法の元に平等である」として、平等権即ち、人権の法的取扱いについてすべての国民が差別されず平等であることを保障し、また後段に「人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない」として、平等とされる対象を示している。平等と合理的差別を見るために、平等とされる対象について具体的内容を次に考察する。

Ⅱ.実質的平等と合理的差別
1.政治的平等(参政権について)
主権者たる国民の意思は選挙を通じて反映される。そこで、政治的平等を選挙権に着目して、その内容を考察する。
現行の選挙制度は、原則として普通選挙と平等選挙を採用している。
普通選挙とは、人種、信条、性別、社会的身分、教育などを要件とせず、広く国民に選挙権を認めるものである。しかし、ここでの国民とは、憲法上の機関としての国民(主権者としての国民から、未成年者、成年被後見人を除く)のことであり、直接的に国政を行うことができる者として制限をおいている。年齢による制限に関して、政治判断にはある程度の精神的成熟が要求されることから、合理的理由であると考えられる。また選挙権の行使が、違憲の国家作用の批判や国防戦力の正当性の判断などを反映させることから、国籍によって制限がおかれることも合理的である。
平等選挙とは、各選挙人の選挙権の価値を均等としてまったく差別しない選挙である。もし各個人の能力や政治的判断力によって選挙権の価値に差をつけた場合、主権者たる権能に差があることになり、民主制そのものが成り立たない。したがって、平等選挙は民主性を成立させる前提となる。
ここで、選挙制度に起因する票の価値の不平等が起こる可能性があることに注意する。この不平等は、人口の変動により、選挙区間で票の価値の偏差が現れるものであるが、その是正は、極端に均衡を失する場合を除いて、司法ではなく立法政策に委ねられていると最高裁判所は判事している(最大判昭三九・二・五)。しかし、一九七二年の衆議院議員選挙においては、合理性をもつと考えられない程度の偏差が放置されていたことを重視して、憲法の要求する選挙権の平等に反して違憲と判断し(最大判昭五一・四・十四)、その後も同じ考え方をとっている。
2.経済的平等(公共の福祉について)
資本主義体制をとる日本において、国の経済発展は経済的自由権を基礎として行われる。しかし、経済活動に関する自由は、社会全体の利益を考慮することが重要であり、公共の福祉による制限が顕著である。ここで、実質的平等を見るために、公共の福祉による制限の内容と、それがもたらす社会的利益のバランスについて、制限される対象毎に考察する。
居住・移転の自由は、職業選択の自由を実質的に保障し、また他人との交流によって人格形成に資する点で精神的自由や幸福追求権とつながる面もある為、制限を置く際には最大限の慎重さをもって臨むべきである。一九九八年に制定された感染症予防法に関して、二〇〇一年の熊本地裁判決では、隔離治療は極めて限られた特殊な疾病にのみ許されるべきもので、伝染予防のために患者の隔離以外に適当な方法がない場合に限られると明示した。この判決は、感染症の発生予防という社会的利益と居住・移転の自由の制限をバランスしたものであるが、この制限が該当者の人生に決定的に重要な影響を与えることを重視して、強制隔離は必要最低限度のものでなければならないとしている。
職業選択の自由は、営業の自由に直結するものであるが、職業に一定の資格を要求するなど、合理的な制約がおかれることが多い。これは、社会公共の安全のための制約と経済発展の可能性という利益のバランスである。社会経済の調和的発展のために小売市場を許可制にすることも合理的であり、社会経済発展全体の釣り合いを取っている。
財産権の保障に関しても、資本主義の成熟とともに、その社会性が求められ、正当な補償を受けうることを条件として公共の福祉による制限がある。戦後の農地改革は、公共のために用いることを目的に、地主の保有する農地を政府が強制的に買い上げたのであるが、この際の買収対価は正当な額であることが財産権保障の趣旨に沿う。しかし、実際には収用における損失があり、その保障が必要であると考えられる。
3.社会的平等(社会権について)
自由権は、もともとは国家権力からの人権保障を実現するためのものであったが、現代社会においては、民主主義、資本主義の発展に伴い、保護される権利が増大している。この自由主義経済によって生じる弊害を矯正し、人間に値する生活を営むための諸条件の確保を求めることができる権利が社会権である。ここでは、教育を受ける権利に注目して、社会的・経済的理由によらず国民が平等に受けうる社会権について考察する。
教育を受ける権利の保障は、国家が立法によって国民の利用する教育施設・環境を拡充させることで実現される。教育の機会が均等に与えられるべきことを鑑みて、特に義務教育において、授業料が無償とされていることは妥当であり、これは自由主義経済が生む貧富の差が、教育を受ける権利へ影響を及ぼすことを是正し、平等に機会が与えられることを保障するものである。教育内容については、それが子供の人格形成につながることから、自由かつ独立の成長を重視する自由権的側面と、子供の成長に対する公益のために、国家の必要かつ正当な介入を求める社会権的側面のバランスをとる必要がある。

Ⅲ.考察
法の下の平等は、個人の尊厳とそれをすべての人々に認めるための仕組みである。
平等権の真の実現には、当然ながら法的取扱いにおいて差別しないと言う事だけでは不十分であり、各個人が自身の権利を護りながら、それを積極的に他者のために使うことが必要であると考える。生存権その他社会権を確保する国の措置も、主権者たる国民の意思によるものである。
平等の政治的権能を持ち、それをすべての人々の自由と利益のために利用し、平等に人間に値する生活を護ることは、社会を形成する最大のメリットであり理由である。このことの自覚が、実質的意味の法(社会秩序そのもの)の下の平等を実現するものと考える。


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